FC2ブログ

年寄りのたわごと

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

「対立の行方 森井市政の3年」を読んで

4月18日から3回に渡って連載された「対立の行方 森井市政の

3年」を読み「森井市長と小樽市議会は本当に『対立』している

のだろうか」という疑問が生じました。そのことを書いておきま

す。


森井市政発足以来、中野記者を始めとした道新の市政担当記者は

森井市長が市幹部や市議会、経済界と「対立している」との視点

で記事を書いてきました。

その「対立」は森井市長のかたくなな姿勢によるものだと小樽市

民に植えつけようとするかのように執拗でした。

さらに、それらの記事は「森井降ろし」を画策する自公民の各会

派や一部の無所属市議、そして商工会議所などの側を良しとする

「偏った」印象を読者に与えてきました。

(西出記者の記事も当初はこれまでの流れを踏襲した記事が目立っ

ていましたが、渡辺佐保子記者と組むようになりその傾向は薄れ

つつあるようだと私は感じています)。


さて、本題の「森井市長と小樽市議会は本当に対立しているのか」

の疑問ですが、私は「対立」ではなく「当然の帰着」「これが本

来のあり方」だと思っています。以下、その理由を書きます。


自民、公明、民主(現立憲・市民連合)、商工会議所、連合小樽の

5者によって庁内幹部から選び出した市長と呉越同舟、同床異夢

ながら癒着、なれ合いを繰り返し、小樽市政を牛耳り壟断を続け

て何十年(?)たったかは定かではありませんが、それが3年前に5

者相乗りを批判した新しい市長が誕生しました。

これまでわが世の春を謳歌して来た5者や市政幹部の慌てぶりは

とても私には想像できませんが、ようは市政を牛耳ってきた期間

が長かっただけにその反動は強力だったと推測できます。


それだけに、市議会での新米市長に対する追及は、失政を追及す

るだけに止まらず、議会での答弁や言葉使いや「人の話を聞かな

い」「もっと謙虚になれ」といった個人的なあり方まで、まるで

重箱の隅を突くがごとく多岐に渡り、それはいつか「何が何でも

森井を市長ポストから引きづり降ろせ」(その急先鋒は公明党のよ

うで自民党他が引きづられている、というのが大方の見方のよう

です)の憎悪の大合唱に…。その表れが問責決議や辞職勧告決議を

始めとした市長の責任追及を名目にした各種決議の乱発でした。


しかし、そうした自分たちの意のままにならない市長に対するイ

ライラを露骨にした追及は結局裏目に出ているようです。

市民には「みんなで若い新米市長をいじめている」としか写って

いないようです。


森井市長に問題はないとは思ってはいません。たしかに「謙虚に

人の話に耳を傾ける」など改めるべきところは多々あるとは思い

ますが、そうした欠点を簡単に改められないのもまた人間の弱さ

でもあります。また、同じ過ちを繰り返すのもまた人間です。

それだけに、人間の生きざまを否定するような追及を執拗に続け

る市議会会派や市議、市政幹部に対する市民の見方は厳しいもの

があると知るべきです。


いづれにしても長年、相乗りしてきた船が転覆し、新しい船が就

航したのですから、今までのように呉越同舟とはいかないのは当

然です。新しい船ではやっていけないというなら、元総務部長だ

った迫氏のようにサッサと下船するのも対応の一つでしよう。


「対立の行方」の記事に「歩み寄る兆し見えず」と大見出しがあ

りましたが、選挙に負け、反対派の市長が当選し行政権力が移動

したというのが現状であり、そこにあるのは「対立」状態ではな

く、勝ったものを主体とした「あるべき当然」の状態です。

これまでが、なにも無さ過ぎたのです。無風すぎたのです。

そんな中にドップリ漬かってきた人たちは、3年たった今になっ

てもその現実が受け入れられないでいる…それが「対立」の実態

では無いでしょうか。

ですから、歩み寄る兆しが見えないのは当然だと私は思います。


取りとめなくなってしまいました。ぜひ、ご意見をお聞かせ下さ

い。
















さて、「森井市長と小樽市議会は本当に対立

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。